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徳川家康


日本歴史

日本歴史の時代区分では、ふつう、原始時代、古代、中世、近世、近代、現代というふうに分ける。
中国の歴史書によると、2、3世紀ころ、北九州に多くの小さい国があったことが知られるが、4世紀になって、大和朝廷が近畿地方を中心に、ほぼ、日本全国を統一した。この時代から奈良に首都があった奈良時代(8世紀)、京都に首都がうつってから12世紀の終わりごろまでの平安時代を合わせて「古代」という。それから16世紀の終わりごろまでが「中世」である。「近世」というのは、だいたい徳川氏が幕府を江戸(今の東京)においていた「江戸時代」のことをいい、1868年の明治維新で徳川幕府がたおれて、近代的な資本主義国家が出来てからを「近代」という。「現代」というのは、第二次世界大戦後をさすのがふつうである。

妙心寺

京都市の西北部に妙心寺という有名なお寺があります。妙心寺は、禅寺の中心の一つです。禅寺は仏教の一つで、西暦500年頃インドから中国に伝わり、今から800年ほど前に中国から日本に伝わりました。
禅寺の一日は午前四時の鐘で始まります。僧たちは四時に起きて、布団を片づけ、顔を洗い、そして寺の中の掃除を始めます。食事の当番の僧たちは、台所へ行って食事の用意にかかります。食事当番は六か月で交替します。当番によると、その六か月間、寺の人全部の朝、昼、晩の食事のせわをするのです。

五時になると、本堂に集まって朝の読経を始めます。読経というのは、仏教の経典を声を出して読むことです。朝の読経は六時少し前に終わります。
六時から六時半までの三十分間が、食事の時間になっています。食事がすむと、町へ托鉢に出掛けたり、着物の手入れをしたり、洗濯をしたり、頭のそり合いをしたりします。

托鉢のときは、僧たちはかさをかぶり、鉢を手にもち、一列に並んで、「ホー」と言いながら、町の中を歩いていくのです。町の信者たちは外に出て来て僧たちをおがみ、鉢の中へ食べ物を入れます。托鉢は、十日間に二回、つまり一月に六回行なうことになっています。
托鉢から帰ってくるのは、正午少し前で、正午から昼食です。食事の後は、座禅のために僧堂に行く人もありますし、畑で野菜を作る仕事する人もありますし、近所にたきぎや野菜などをもらいに行く人もあります。

座禅というのは、座って、老師から与えられた仏法についての問題を静かに考えることです。その問題のことを「公案」といいます。
禅宗の公案には、普通の人から見ると、随分変なものもたくさんあります。有名なのは、「手をたたく音がする。その音は左手の音か、右手の音か」とか、「旗が風に吹かれてひるがえっている。ひるがえっているのは、旗か、風か」などでしょう。

僧たちは、座禅をしている間、ほかのことは何も考えず、自分のもらった公案を考えつづけます。一晩中、座禅をする僧もいます。
禅寺の夕食は、普通の家庭よりだいぶ早く、午後四時ごろが普通です。明るいうちに後かたづけもすませるのです。
晩の七時から九時まで、全員が僧堂に集合して、座禅をします。その後、鐘がなり、それを合図に、僧は一人一人、老師の部屋へ行き、公案について話し合います。

僧たちの寝る時刻は、座禅をする人があるので、まちまちですが、だいたい夜の十一時頃のようです。

夏目漱石

夏目漱石は、日本の近代文学を代表する小説家の一人である。1867年東京に生まれ、1893年東京大学英文科を卒業。東京高齢、松山中学、第五高等学校などの教師を経て、1900年英国に留学、帰国してから第一高等学校の教授になった。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などで有名になり、1907年、朝日新聞に入社した。「こころ」「草枕」など、多くの作品が英語をはじめ外国語に翻訳されている。1916年、東京で、病院のため亡くなった。