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カバこそぼくの人生

カバこそぼくの人生 西山登志雄(にしやまとしお)
 ぼくはカバが大好きである。カバもぼくが好きである。ぼくがキリン
を飼っていたら、もう少しスマートだったかな。(現在、ぼくのウエイト
は七十キロ)という気がしないでもないが、ほかの人から、「西山
さん、カバに似ているね。」なんて言われると、わけもなくうれしく
なるのだからしかたがない。
 飼育係となって三十年、カバとの付き合いは、うちの家内との
つき合いより長い。いつもおどかされ、教えられ、新しい発見の
連続だった。ぼくは、最近つくづくカバと出会えて本当によかったと
思う。「そんなことを考えるようでは、西山さん、あんたも年だね。」
こんな声が聞こえないででもないが、カバこそぼくの人生、ぼくは
まさしくホモ-ヒポポタマス(カバ的人間)である。
 デカオのふるさとはアフリカのケニアである。首都ナイロビの北三
十マイルのところにある、ジュジャという町の川で捕らえられた。その
辺りは、池といわず沼といわず、小さな水たまりまでカバでいっぱい
のカバ天国らしい。用心深いカバを生け捕るのに、さんざん知恵
をしぼった人間たちは、川の近くに特別なさくを作ることを考え
ついた。一方からのぞくと、向こう側に通りぬけられるように見える
さくで、中にカバの好物の牧草が点々としいてあるのだ。それでも
カバは、最初は入り口まで来て引き返し、次の日は二、三歩
さくの中に入り、といった調子で下見を続け、大きな体が、すっぽり
さくの中に入ってしまうには、何日もかかるらしい。デカオもこんな
ふうにして捕らえられたのだが、これと同じようなことが、動物園で
の引っ越しの時に起こった。ずっと前に、デカオを新しいカバ舎に
移すことになった時のことである。大きな木の箱を作って中にえさ
を入れ、デカオを誘い込もうとしたことがあった。仲良しのぼくが
ついていたにもかかわらず、デカオが箱に入るのに、なんと十日間
もかかったのである。
 デカオとのつき合いで、ぼくがいちばんおどろき、かつ困らされた
のは、彼がカバ舎のあちこちにうんちをまき散らすことであった。どう
いうわけか雄のカバは、水から上がってふんをする。あの短いしっぽ
を左右にふりながら、プッ、プッ、プッと出していくのだからたまらない。
カバ舎は壁から天井までうんちだらけ。掃除するぼくは、雌のカバ
舎の何十倍かの労力を使って毎日ごしごしやるわけで、いやになる
というよりも、「よくぞここまで飛ぶものだ。」とあきれ返ってしまった
のだ。
 言うまでもなく、ふんこそは、すべての動物(人間もだよ)の健康
のバロメーターである。快食であれば快便、快便であれば健康で
あるのは言うまでもない。それゆえ、われわれ飼育係は、せっせと
仕事に励んでいるわけだ。
 ところでカバのうんちについて、アフリカの原住民であるアサンデ族
の民語にこんな話がある。
 昔々、神様が地球上の動物たちを一堂に集めて、すみかを決
めた時のこと。でぶで動きの鈍いカバは、その集まりにすっかり遅れ
てしまった。やっと神様の前に出て「あたしは太っているから水の中
にすませてください。」と願い出ると、神様は「おまえはでかいし、水
の中にすむことになったほかの動物たちのじゃまになろう。」と首をか
しげられた。しかし、あんまりカバがたのむので、かわいそうになった
神様で、ほかの動物を傷つけたりしないと約束するならという条件
で、水の中にすむことをお許しになった。そこでカバ君、うんちの時
には必ず水から陸に上がり、「神様、ほらごらんなさい。あたしゃ魚
など全然食べていませんよ。」と、うんちをまき散らして、身の潔白
を証明し続けているのだというのだ。
 ぼくはあのカバのうんちから、こんなにすてきな話を作り上げた現地
の人たちの優しい心根にはほとほと感心した。
 つき合いが長かったせいか、ぼくはカバに対して、多少身びいき的
なところがあって、みんながバカだバカだというカバも「いや、なかなか
りこうだよ。」と断言している一人なのである。
 だいぶ前、ザブコというカバが死んだことがあった。このカバは戦後
初めてアフリカから日本に来たカバで、入園以来、十七年余りも
ぼくが苦楽を共にしてきた仲であった。産後の肥立ちが悪くてとう
とう糖尿病にかかり、死んでしまったのだが、そのザブコを解剖
した時のことである。体重千二百五キロ(これは闘病生活で、
ふつうのカバの半分にやせていたため)、腸の長さ四十二メートル、
また胃は単胃であることがわかった。肝臓はなんと二十四キロ、
心臓十キロと、その図体に全くふさわしいものであった。皮膚の
厚さはというと、胸部は皮下脂肪を入れて五・五センチ、しりの
部分では八・二センチもあり、ザブコの場合、特別長い注射針
を使用したものの、やはり筋肉まで薬液が届かず、それも死因
の一つになったということがわかった。
 ところで、ザブコの脳は、おどろいたことに、他の部分の偉大さ
に比べ、たった六百グラムしかなかったのである。そして、多ければ
多いほどよしとされているしわが、全くなく、まるで豆腐の表面の
ようにのっぺりしていた。
 それを見たえらい解剖学の先生がたが「西山さん、カバはやっぱり
バカですよ。」と言ってゲタゲタ笑い出した時、ぼくがどんなに腹が
立ったか。なるほど、脳重六百グラムといえば、生後二、三か月
の人間の赤ちゃんの脳重とほぼ同じである。そしてカバは人間の
ように話すこともできなければ、難しい計算もできない。そういう
比べ方をすると、バカと言われてもしかたがないかもしれない。だが、
しかしである。そのカバの脳みそを前に大笑いしている人間、ぼく
に言わせれば、そのほうがよっぽどバカに見えた。
 ぼくはカバのお産が始まると、短い時で二十日間、長いと一か月、
湿気の多いカバ舎に布団を持ち込んで、食事以外は人間と
接触を断ち、「いつ産むか。」と朝から晩までカバのおしりを見て
暮らすのである。おもしろいもので、そういう生活が続くと、自分の
感情までカバそっくりになってしまうのか、二つのカバ舎の中間の
通路に寝ている。ぼくは、一つのほうで、「ブブブー」「ブブブー」と
夜鳴きが始まり、次々カバが連鎖反応を起こして鳴き声をあげて
いく時など、右から左に伝えるのに、真ん中のぼくがだまっていたの
では伝わらないのではないかという気になって、つい「ブブブー」と
言ってしまったこともあった。
 カバのお産でおもしろいのは、カバがしっぽから生まれるか頭から
生まれるか、わからないことである。ぼくの体験によれば、しっぽから
が六回、頭からが六回、どっちからかよくわからなかったのが六回
ある。ほかの陸生ほ乳類では、ライオンでもキリンやサイでも頭から
生まれるのが正常とされているが、カバの場合は全くカバ流と言え
よう。 
 お産をしたあと、カバは、子供をいつも目の届く頭の周りに置いて
おく。後ろにいたのでは首が回らないため危険だからである。そして
子カバが水中に入ると、親もいっしょに水の中に入って子を守る。
これが野生のカバの習性であった。
 ところが、上野動物園で育った二代目の江戸っ子カバは、子カバ
が水に入っても、自分は水に入らない。「あれ、どうするつもり
かな。」興味を持ったぼくは彼女の行動をじっと見ていた。すると、
口いっぱいにえさの干し草をくわえてきて、せっせと子カバのいる水
の中に落とし始めたのだ。子カバは、水に浮いた草にかくれて、目
と鼻だけがちょんと、水の中からのぞいている。「そうか、こいつ、
こういう方法で、子供を守るつもりか。」ぼくは、すごいなあと心に
さけんだ。なんて細やかな愛情だろう。カバにめためたほれて、彼ら
のやることなすことなんでもよく見えて困るぼくだけど、この時もまた、
じいんとまぶたが熱くなってしまったのだ。
(「動物賛歌」による)
西山登志雄(一九二九)東京都の生まれ。上野動物園に飼育
係として三十余年勤務。現在、東武動物園園長。著書に「ボク
の先生はカバだった」などがある。