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日本の正月


暮れも押し詰まると、役所や会社では一年の最後の仕事を終わらせて、一月三日までの休みに入ります。故郷で正月を過ごそうという人たちが、田舎へ帰りはじめるのもこのころです。北へ向かう列車は、この休みを利用してスキーに出掛ける人たちも乗り込むため、余計に混雑します。

うちで正月を迎える人たちは正月の準備を始めます。うちじゅうきれいに掃除をしてお供え餅を供え、門には門松を立てて、しめなわを飾ります。それから、正月は店も休みですから、その間に食べる食料も買っておきます。
そしてお節料理つまり正月料理を作ります。
大みそかの晩、正月の準備ができたころ、みんなでそばを食べる習慣もあります。いよいよ十二時近くになると、全国のお寺では除夜の鐘を鳴らします。ゴーン、ゴーンという低いゆったりとした鐘の音が響いてきます。百八つの鐘を突き終わると新年です。大抵の人はこれを聞いてから床に入ります。


一夜明けた元旦の朝は、しんとするほど静かです。うちの中では家族そろって食卓に着き、「明けましておめでとうございます。」とまず新年の挨拶をします。そして、おとそを飲み、お節料理や雑煮を食べて、新年を祝います。そして、郵便受けに届いた沢山の年賀状を見ます。年賀状には印刷したものの外に、自分で版画を刷ったもの、筆で書いたものなど、きれいなものもあります。「子供が生まれました」などと最近の様子を書き添えた年賀状を受け取るのは、本当に楽しいものです。


お正月には初詣といって神社やお寺へお参りに行く人もいます。「今年もよい年でありますように。」と祈るのです。初詣の人たちの中には華やかな和服を着た若い女の人たちも大勢います。


広場では子供たちがたこあげをしたり、羽根突きをしたりします。また、うちの中ではみんなでかるたとりをしたり、トランプをしたりします。


こうして、正月の三日間を過ごして、大抵四日からまた仕事が始まります。この正月の休みは一年のうちで最も日本的な風景の見られる時です。

不思議な老人

昔、沢山の馬にうりを背負わせて、大和の国から京へ上る男たちがありました。ちょうど七月の大変な暑いころだったので、男たちは木陰に馬を止め、うりを入れたかごを下ろして休んでいました。そして、自分たちが食べる為に持ってきたうりがあったので、それを取り出して食べていました。その近くで、大変年とった一人の老人がつえをついて、みんながうりを食べるのをじっと見ていました。

しばらくすると、老人は「済みませんが、そのうりを一つくださいませんか。のどが渇いて仕方がないのです。」と男たちに頼みました。しかし、男たちは「このうりはわたしたちの物ではありません。京へ持っていくように主人から命じられた物です。だから、あげたいけれども、あげるわけにはいきませんよ。」と断りました。老人は「何というひどい人たちだろう。年寄りにうり一つくれないとは。それでは、わたしはうりを作って食べることにしよう。」とつぶやきました。


そして、老人は近くにあった木の枝を拾って地面を掘り、男たちのはき捨てたうりの種を集めて、そこにまきました。すると、その種からすぐに芽が出てきました。男たちがびっくりしているうちに、その芽はどんどん伸びて緑の葉が出てきました。芽はまたどんどん茂って花が咲き、うりが沢山なりました。うりはどんどn大きくなり、大変おいしそうに塾しました。


老人はこのうりを採って食べ、男たちにも分けてやりました。それから、道を通る人たちをみんな呼び止めて食べさせました。とてもおいしいうりだったので、みんな喜んで沢山食べました。そして、老人のうりが全部無くなると、老人は「さあ、それでは出掛けましょう。」と言って、どこかへ行ってしまいました。


それからしばらくして、男たちも「さあ、出発しよう。」と言って立ち上がりました。そして、馬にかごを背負わせようとして見ると、かごの中に入れてあったうりは一つも見当たりませんでした。



注 
大和の国 今の奈良県
京  今の京都市の一部。当時の首都。